@acidlemonについて
|'-')/ acidlemonです。鎌倉市在住で、鎌倉で働く普通のITエンジニアです。
30年弱住んだ北海道を離れ、鎌倉でまったりぽわぽわしています。
とりあえず、いいかげんiPhoneに登録してあった「Flickrに稚内の写真をアップロードする」というToDoを消し去りたかったのでなんとかアップロードしました。これ毎回150〜300枚ぐらいの写真を半分ぐらいに絞り込んでタイトルとコメントを1個1個つける作業をやってるんですけど、それだけで2〜3時間かかってしまうのでもうちょっとなんとかしたいです。
さぁそんなわけで8/9〜10で札幌から稚内の宗谷岬まで行って帰ってくるというのをやりました。まぁいろいろあったんですけどその辺は上のFlickrの写真を見てもらうとして、簡単にダイジェストでこんな旅行でしたという話をば。
今回必須だなーとおもってたのは、ノシャップ岬の夕日、宗谷岬到達、ウニ丼をたべる、たこしゃぶを食べるの4点。あとはまぁ適当にでいいかなーと。学生の頃は旅行する前にはちゃんと下調べして行くところの目星を大体つけてたんですけど、旅行慣れしてくうちにどんどんその下調べがおろそかになってきちゃっていて、着いてから「さて、この街はなにがポイントなんだろう」とかやってる始末です。
札幌稚内の往復は、とにかく車に乗ってる時間が長いので、iPhoneにシガーソケット用充電器まで用意したんですけど、どうやら車のバッテリがへたり気味なのかiPhone 3GSをうまく充電することができなくて一緒にもっていってたMacBook AirとUSBでつないでMBAをバッテリ代わりに使うというかっこ悪さ(Flickrに助手席に無造作に置かれた裏返しのMacBook Airの写真があります)。
あとはまぁ、箇条書きでいいや…。
さて、昨日の記事でも「思いつきで稚内に行くことにした」と書いていたとおり、実は本当に直前まで全然行く気なかったんです、稚内。まぁオロロンラインは走ったことなかったので走ってみたいなぁとは思ってたんですけどね。本当は、夏休み後半の終戦記念日前後に京都に行こうとおもってました。
北海道生まれ北海道育ちの人間なので、あんまり生々しい戦争体験の話とかも聞いたことがないし(それでも、祖母は満州から引き上げてきた人だった気がするけど)、この年で言うのもなんだけど、本州で終戦記念日を過ごして、戦争にゆかりのありそうな史跡巡りをしてみたかったという話。
しかしながら会社の仕事の都合でなかなか夏休みの日程が確定せず飛行機がとれなくて、しかも実家から「お盆は実家に帰ってこーい」命令がでたので結局終戦記念日らへんに京都旅行というのはあきらめたんですけど、結果からいうと、その代わりとして行ってみた稚内も意外とよかったです。
ぼくは北海道のまん中よりちょいしたの帯広育ちなので、あんまり戦時のロシアの話とかは知らなかったんですけど、さすがは稚内、日本最北の街だけあってここが対ロシアの最前線だったわけです。あんまりその辺を意識せずに普通に名所っぽいところを観光しただけなのに気がついたら慰霊碑記念碑巡りになっていて、そういう意味では「終戦記念日を前に戦争にゆかりのありそうな史跡巡りをしてみたい」というのは十分満たされました。
まぁあとは単に道民として知らなかった北海道がまだ道北にはあったというのも大きな収穫でした。十勝のどまんなかに住んでたので、だだっぴろい畑とかはよく知ってるつもりだったんですが、道北は畑さえもなくて海からの風が吹いてくる冷涼な高原が広がっていて、その絶望感さえ漂う広さが、「あー、北海道にはこんなところもあったんだなぁ」という気分にさせてくれました。
そういう意味では同じ北海道の海の街といえども、明治時代から開港して(横浜とならんで)150周年のモダンな街函館と、明治時代からロシアの恐怖と戦ったり樺太に進出したりしていた北方防衛最前線の街稚内じゃ全然ルーツがちがっていて面白いです。これだから街巡りはやめられないんだよなぁ。
今回は一泊二日の日程だったんで稚内周辺に滞在できたのは実質20時間程度でしたが、もう一泊ぐらいしてもうちょっと散策とかしてみたかったなぁ、と結構思ってます。